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作・演出 たけだあり

キャスト アリ  武田愛理
     アンナ 松下安奈 
     ウデ  結城二之腕丸
 
『電車が来ます』
 電車が荒川線早稲田駅を発車する。アンナが乗っている。
 しばらくはいつも通り何の変哲も無い車内。

 次の面影橋駅に着くと、アリ、ウデが乗り込んでくる
 車内でそれぞれ帽子をかぶるところから芝居が始まる。


ウデ「あ!」

 遠ざかる駅を呆然と見ながら立ち尽くしている。

アリ「どうしました?また、忘れ物ですか?」
ウデ「そうみたいです。」
アリ「今度は一体何を忘れてきたのですか?」
ウデ「・・・分かりません。何を忘れてきたのか、忘れてしまいました。」
アリ「そうしなければ、この電車に乗ることはできません。」

ウデ「そうですよね?」
アリ「ええ、そうですとも!」


 快活に笑う二人。やがて笑いつかれてうつむく。

アンナ「・・・あの・・・」

 一斉にアンナのほうを向くニ人。

アンナ「ここに、ロープがあります。幸いなことにちょうどよい長さのものが。
もしよろしければ使ってください。」
アリ「それはいい。どうです、あなた。使ってみては。」
アンナ「そうしてください。私もずっと気になっていたのです。一体何を忘れ
てきたのか。」
ウデ「はあ・・」
アリ「さあ。遠慮せずに使わせてもらいなさい?」

アンナ「よかった。そんな気がしたのです。今日はロープが必要になるような。」

 アンナ、ウデにロープを手渡す。ウデは、どうすればよいのか戸惑っている

ウデ「あの・・・」
アンナ「なにをしてるんですか!早くしてください。早急に答えを出さなくて
は大変なことになってしまいますよ?」
アリ「もしかして、あなた疑っているのですか?」
アンナ「疑ってる?」
アリ「ええ。このロープを借りることで、この人は何か私に見返りを求めてい
る。そう思っているのですか?」
アンナ「そうなんですね?」
ウデ「え?」

アンナ「ああああ!私の無償の愛が!いつもそう。私の優しさは私自身をいつ
も苦しめる!あああ・・・」
ウデ「ちょっと待ってください。そうじゃないんです。」
アンナ「では、何故このロープを使ってくれないのです?」
ウデ「使い方がわからないのです。」


 アリ、黙ってロープを解きはじめる。
 見ると、丁度頭が入る大きさの輪っかがもう作ってある。アリ、それをウデにしめす。


アリ「ここに首を突っ込んでみてください。」
ウデ「はい。・・・で、どうするんですか?」

 徐々にロープを手繰るアリ。当然ウデは絞め殺されそうになる。

ウデ「・・・ふがっ!」

 危うく死に掛けるウデ。何とか自分で脱出して九死に一生を得る。

アリ「思い出せましたか?」
ウデ「何をです!」
アリ「あなたが忘れてきた物をです。」
ウデ「思い出せません!」

アリ「おかしいですね、死ぬ間際に記憶が走馬灯のように脳裏をよぎると言う
のはでたらめなのでしょうか?」
ウデ「殺す気ですか!」
アリ「生まれるもっと前の記憶だからでしょうか?」
アンナ「どうしてそんな、貧困な発想しか出来ないのですか?」
アリ「え?」

アンナ「そういうロープがあって、輪っかが作ってあって、考えられる事とい
えば首を吊ることしかないのですか?」
アリ「他にありますか?」
アンナ「いくらでもありますよ。もっと、自由になって下さい!」

ウデ「・・・自由!」

 この間、ウデはロープをじっと見つめている。そしておもむろに自分の体に巻きつけ始める。

ウデ「ああっ!」

 車内に、沈黙が流れる。

アリ「あなたは、何がしたいのですか?」
ウデ「・・・こういうことじゃないんですか?」
アンナ「ええ。そういうことだと思います。」
ウデ「私は、自由になりたいのです!」

アリ「でも、あなたの体は今、とても不自由ですよ。」
ウデ「こうしていれば少なくとも運命からは開放されます。」
アンナ「まさしくそうです。これが典型的な自由です。ルネッサンスです。」

アリ「なら、もっと強い力で締め付けなくてはいけないのではないでしょうか。」
ウデ「極限状態まで?」

アリ「ええ。血液の流れが止まるまで締めないとあまり意味は無いような気が
します。」
アンナ「意味ですか?」
アリ「ええ。」
アンナ「彼の血液の流れが止まるほどこのロープで縛り上げれば意味が生まれ
ると言うのですか?」
アリ「そうです。」

 おもむろにロープを解き始めるアンナ。激しく抵抗するウデ。

ウデ「ちょっと、あなた何してるんですか!」
アンナ「そんなことになるなら、何もしないほうがましです。」
ウデ「ああ、僕の自由が!」


 ウデ、くるくる回ってはぎ取られる。床にロープを投げつけるアンナ。

アンナ「もう!何で私はこんなロープ持ってきたんだろ?」
アリ「必要になる気がしたからでしょう?」
アンナ「いいえ!私は、この無駄な時間を浪費する為に持ってきたのです。無
意味を楽しむ為にです!まさかここから意味が生まれるなんて!」
アリ「あの・・・」
アンナ「はい。」
アリ「本当に、無意味を楽しむ事なんて出来るのでしょうか?」
アンナ「出来ないとでも?」
ウデ「はい。」

 二人、ウデを見る。

ウデ「僕は、もう我慢できません。だから、不自由な体に自由を求めるのです。」
アンナ「では、あなたは何故この電車に乗っているのですか?」
ウデ「気がついたら、もう乗っていたんです。」
アリ「あなたも、そうじゃないんですか?」
アンナ「いいえ。私は自分の意思でこの電車に乗りました。」

アリ「意思?」
アンナ「はい。」

アリ「あなたは、意思をお持ちですか?」
アンナ「ええ。」
アリ「本当に?」
アンナ「ええ、本当です!」

 おもむろに歩き出すアンナ。しかし、途中でふらつく。

アンナ「私は、今、歩きました。そこからここまで移動しようという強靭な意
志を持って歩きました。」
ウデ「でも、あなた、ふらつきましたよ?」
アンナ「・・・ふらつきました。」
アリ「あなたはふらつこうと思ってふらついたのですか?」
アンナ「いいえ。」
アリ「つまり、こういうことです。この電車が動き続けている限り、私達に意
思なんてない!」
アンナ「では、この電車は、どこに向かっているのですか?」
アリ「アウシュビッツです。」


 車内に沈黙が流れる。

アリ「この電車は、アウシュビッツに向かっているのです。この電車が止まっ
た時、私たちは毒ガスのシャワーを浴びて殺されるのです。しかしまだそのこ
とを知りません。なんとなく迫ってくる恐怖に、わけも分からず怯えているの
です。」


 この間、皆、遠くを見つめて動かない。

アンナ「あの時も私はこうやって見ていました」
アリ「狭い窓」
ウデ「必死で背伸びして外の景色を見ようとする小さな子供」
アンナ「それが」
三人「私でした」

ウデ「窓の外には明るい光が立ち込めている」
アリ「ちっちゃな手のひらを精一杯広げて」
アンナ「外の景色を掴もうとしていました」

アリ・ウデ「でも」
アンナ「届きませんでした。辺りの陰鬱な空気に触れて私は思わず手を引っ込
めてしまったからです」
アリ・ウデ「この電車が何処に向かっているか、知っているかい?」

アンナ「私の隣にいた人が話しかけてきました」
アリ「私は知っていたのだけれど」
三人「本当は、全部知っていたのだけれど、なんだかそれは言ってはいけない
ことのような気がして無邪気な子供の笑い方をしました」

 みんな、無邪気に笑う。
 アンナ、車内中央にあるロープを見つけて近づいていく。そして星を作り始める。


アリ「何をしているのですか?」
アンナ「星。」
ウデ「え?」
アンナ「流れ星。いくら探しても見つからないから、自分で作っているんです。」

ウデ「これで、あってます?」
アンナ「ええ。多分・・・」
アリ「本当に作ることが出来るのですか?」
アンナ「ええ、多分・・・」


 ロープで作った星を掲げる

アンナ「ほら、できた。」
アリ「この星は、ダビデの星です。」


 アンナとウデ、ダビデの星の中に入る。

アンナ「窓の外には明るい光が立ち込めている。」
ウデ「この光は朝日なのですか?」
アリ「まだ決まっていません。」
アンナ「夕日なのですか?」
アリ「・・・まだ決まっていません。」
アンナ・ウデ「・・・アウシュビッツに着いた。私達は選別される。」

アリ「さあ、皆さんシャワーを浴びてください。」
アンナ「係の男が言う。」
ウデ「冷たく重い壁の部屋。」
アンナ「黄色い臭気が立ち込める。」
アリ「窓の外には明るい光が立ち込めている。」

 アリ、ガス室のスイッチを入れる。阿鼻叫喚の地獄絵図が電車の中央で繰り広げられる。
 アリ、それを眺めている。しばらくの静寂。


アリ「ああ、私は今までいくつのものの命をとったか分からない、そしてその
私が今度いたちにとらわれようとした時はあんなに一生懸命逃げた。それでも
とうとうこんなになってしまった。ああ何にも当てにならない。どうしてわた
しはわたしのからだを、だまっていたちにくれてやらなかったのだろう。そし
たらいたちも一日生き延びたろうに。どうか神様、わたしのこころをご覧くだ
さい。こんなにむなしく命を捨てず、どうかこの次には、まことのみんなの幸
いのために私のからだをお使いください。」

 この間、アンナ、ウデ、ゆっくりと起き上がる。

アンナ・ウデ「そしたらいつか蝎はじぶんのからだがまっ赤なうつくしい火に
なって燃えてよるのやみを照らしているのを見ました。」

ウデ「私も、そのサソリのように夜空で燃えることができるのですか?」
アリ「いいえ、出来ません。」
アンナ「あなたは?」
アリ「もちろん、私も出来ません。夜空はもう満員ですから。」
ウデ「では、私達は何の為に殺されるのですか?」
アリ「私達の死骸はこの電車の燃料になるのです。」
ウデ「石油ですか?」
アリ「いいえ、そこまでは燃えません。」
アンナ「ろうそくですか?」
アリ「まあ、そんなもんでしょう。でも、今さら燃えたところで夜空にすすを
撒き散らすばかりです。追いつかないのです。・・・みんなはね、ずいぶん走
ったけれども遅れてしまったよ。ザネリもね、ずいぶん走ったけれども追いつ
かなかった。」
ウデ「ザネリ・・・!」

アンナ「ざねり?」
アリ「・・・この電車に乗り遅れてしまった子供の名前です。」
アンナ「・・・本当にこの電車はアウシュビッツに向かっているのですか?

アリ「向かっていますよ。」
アンナ「アウシュビッツに着いたら私達は毒ガスのシャワーを浴びて殺される
んですよね。」
アリ「はい。チクロンBという猛毒です。」
アンナ「その割には・・・・なんていうんだろ?悲壮感が足りない気がするの
ですが・・・」
アリ「それは、現時点では私たちは殺されるということを知らされていないか
らです。」
ウデ「つまり、知らない振りをしているわけですね。」
アリ「いいえ。振りではなく、あくまで現時点では知らないのです。」
アンナ「アウシュビッツに着いたら毒ガスのシャワーを浴びて殺されるんです
よね。」
アリ「はい。間違いありません。」
アンナ「でも、私達はそのことを知らない。」

アリ「知りません。」
ウデ「いつ分かるんですか?」

アリ「え?」
ウデ「私達が殺されるということは、いつ分かるんですか?」
アリ「死んだ時・・・かな?」

アンナ「ということは、私達はもう死んでいるのですか?」
アリ「いいえ。生きてるでしょ?」

ウデ「あ〜!なんか混乱してきました!」
アリ「私もです!」
アンナ「そもそも、この電車がアウシュビッツに向かっているという情報はど
こから?」
アリ「歴史の教科書です。ちゃんとそう書いていました。」
アンナ「では、残念ながら半分はフィクションですね。」

アリ「わかりました!じゃあ、こうしましょう。私たちはもう、アウシュビッ
ツに着きました。そう、さっきの駅・・・私たちがこの電車に乗り込んだあの
駅がアウシュビッツだったのです。そこで、何か大変なことが、・・・もしか
したらユダヤ人かもしれない私たちの身の上に起こってしまったのかもしれな
い。その・・・歴史の教科書に書いてあるようなことが。でも、今はそれを忘
れてしまった。」
ウデ「なるほど!私達がこの電車に乗るときに忘れてきたものはそれだったの
ですね?」
アリ「そうです!」

ウデ「ということは、この電車はアウシュビッツに向かう電車ではなく、銀河
鉄道だということですね?」
アリ「そうです!」
アンナ「銀河鉄道って、あの銀河鉄道ですか?」
アリ「はい。宮沢賢治さんの銀河鉄道です。」
アンナ「あなたは、どこまで行かれるのですか?」

アリ「どこまでも行くんです。」


 車内に沈黙が流れる。

アリ「・・・本当でしょうか?」
アンナ・ウデ「え?」
アリ「本当に私たちはどこまでも行けるのでしょうか?」
アンナ「その前にはっきりさせて下さい。私達は生きているんですか?」

ウデ「それとも死んでいるんですか?」
アリ「・・・どっち?」
アンナ「だから言ったんです、早く決めておかなければ大変なことになるって。」
アリ「皆さん、目を閉じましょう。そうすれば、前に進んでいるのか、後ろに
戻っているのか分からなくなります。」
アンナ「目を閉じたところで何も変わりはしません。問題は自分の体がどっち
を向いているかです。前なのか、後ろなのか。」
アリ「そうでした。」

ウデ「あの・・・ここに座っておられる方々はどうなるのでしょうか?横を向
いていますが・・・」
アンナ「右か左かという問題になってきますね。」
アリ「右か左かなんてどっちでもいいんです!どっちも変わりないんですから。
例えばこうやって・・・ちょっとすいません。私がここに座るとします。そう
すると、ほら、どんどん右に進んでいる気がします。でも、こうやってこっち
側に座ると左に突き進んでいます。変わらないんです。結局は。どっちにした
って待っているのは赤と白でデザインされたあの旗なのですから。ほら、あな
た困るでしょ?どうすればいいのか?問題は、座る場所が無い人間が一体どう
すればよいかなのです。」
ウデ「席を譲り合ってみてはどうでしょうか?」
アンナ「すいません、私もう疲れたんで座らせていただけませんか?」

アリ「そんなのではダメです。もっと体中で訴えかけなくてはなりません。そ
う。そしてもっと卑屈な目をするのです。」
ウデ「こうですか?」
アリ「だいぶよくなってきました。でも、これだけではまだ不十分です。もう
一つ重要なのはイスに座っている人の後ろめたさです。」
アンナ「あなた、今どういうお気持ちですか?」
アリ「とても後ろめたいです。なんでこんな事になったのだろうと思って煩悶
しています。それと言うのも私が中途半端にお人よしのせいだろうか?ああ。
どうせならもっと悪人顔に生まれてくるんだった。誰一人として私に話しかけ
てこないような。」
ウデ「本当にそう思っているのでしょうか?」
アリ「思ってますよ!」

アンナ「私も後悔しています。ああ、なんで私はあんなこと言ってしまったの
だろう?」
アリ「お互いに居心地が悪いでしょ?」
アンナ「ええ。」
アリ「次にこの電車が止まったときに一緒に降りましょうか?さりげなく。」

ウデ「この電車は、どこかで止まるのですか?」
アリ「ええ、もうじき白鳥の停車場ですから。」
ウデ「そんな駅ありませんよ。ほら、ここに書いてますよ。大塚の次は巣鴨新
田です。」

 つかつかとウデに歩み寄るアリ。二人の間に険悪な空気が流れる。
 しばらくにらみ合ったあと、アリ、おもむろに。


アリ「ごめんなさい!」
ウデ「え?」
アリ「実はすべてが嘘なのです。」
アンナ「嘘です。そのような台詞は無かったはずです。」
ウデ「台詞?」
アリ「はい。これは、お芝居なのです。そして、その台本を書いたのは私です。
この電車の中で、今まで一言たりとも自分の意思で発せられた言葉はありませ
ん。」
ウデ「どういうことなのですか?」
アリ「この『どういうことなのですか?』も、私が書いた台詞です。」

アンナ「なんで、言ってしまうのですか?」
アリ「これもそうです。・・・私が今こうやってしゃべっている台詞もちゃん
と台本に書いてあります。台本の
12ページ13行めの台詞です。つまり全部嘘な
のです。でも、それを本当のことだと思おうとしている。」
ウデ「何のためにですか?」
アリ「ここに座っている人たちみんなに、今、目の前で起こっていることは本
当のことなんだと思わせるためです。ああ。でもそれももうだめです。ばれて
しまった。これまでのことがみんな嘘だと言うことが。全部疑いのまなざしで
見られてしまう。」
アンナ「あなたのその言葉も台本に書いてあるのですか?」
アリ「書いてあるのです。」

アンナ「では、何処に本当のことがあるのでしょうか?
アリ「やはり、思い出すしかないのでしょうね。」
アンナ「何をですか?」

アリ「私達が忘れてきたものをです。」

 ウデ、満を持して電車中央にしゃしゃり出る。

ウデ「僕に任せてください!」
アンナ「あなた!私達のために首を吊ってくれるのですね?」
ウデ「あなた、さっき首吊りは貧困な発想だって言ってたじゃないですか!」
アンナ「時と場合によります。」

アリ「そうです!このロープもそのための小道具なのですから!」

 アンナ、アリ、満面の笑みでウデを絞首刑にしようとする。

ウデ「ちょっと待ってください!そうじゃないんです!」
アリ「え?あなた、首を吊ってはくれないのですか?」
ウデ「ええ、残念ながらここで首を吊ることは出来ません。」
アンナ「私に恥をかかせるつもりですか?」
ウデ「え?」
アンナ「考えてもみてください。私は、このロープを・・・しかも、あらかじ
め輪っかが作ってあるこんなにも長いロープを、なんとなく今日は必要になる
気がして持ってきたのですよ?普通に考えておかしいでしょ?」
ウデ「・・・でもそれはあの人が悪いんじゃないですか?こんな不自然な設定
の台本を書いた。」
アリ「え?」
アンナ「あなた、何故この台本を書いたのですか?」
アリ「それは・・・」
アンナ「書くだけならまだしも、何故お芝居として上演しようとしたのです?
しかも、電車の中で。」
ウデ「だから、言っているんです、僕に任せてください!」
アンナ「ありがとうございます!」

 と、やっぱりウデの首をロープで絞めにいく。

ウデ「だから、違うんですって!」
アリ「何が違うんですか?この危機的状況から脱出するにはこうするしかない
でしょ?」
アンナ「ええ、これ以上のリアリティはありません。」
ウデ「リアリティ?」
アンナ「目の前で人が実際に死ぬのです。これ以上のリアリィティがあります
か?あなたが実際に死んでくれれば、私は『いつもロープを持ち歩いているち
ょっと頭のおかしい女』という役名から解放されるのです!」

 車内に沈黙が流れる。

アリ「私はそんな役名をつけた覚えはありませんよ?」
アンナ「私の台本にはそう書いていましたよ?」
アリ「本当に?」

アンナ「ええ、本当です。」
アリ「では、お聞きしますが、この人はなんと言う役名ですか?」
アンナ「自称マジシャンです。」
ウデ「そうなのです!私はマジシャンなのです!」

アリ「そんなはずはありません。『抵抗むなしく結局は絞首刑になる哀れな男
と思い込んでいる男』というのが彼の役名です!」
ウデ「え、何です?もう一回言ってください。」
アリ「抵抗むなしく結局は絞首刑になる哀れな男と思い込んでいる男です。」

ウデ「あの・・・ずっと黙っていたんですけど、いいですか?」
アリ「何です?」
ウデ「私の役名の前半部分はまだいいですよ、どこと無く憂いを含んだこの風
貌と一致していますから。」
アンナ「憂い?」
ウデ「はい。」

 沈黙。

ウデ「・・・しかし!思い込んでいるというのはどういうことです?」
アリ「そのままの意味です。」
アンナ「思い込んでいるのは誰ですか?」

アリ「この人です。」
アンナ「いや、だから・・・そうじゃなくて・・・」
アリ「あなたはこう聞きたいのですか?本当の彼は誰なのかと?」
アンナ「そうです。」

ウデ「本当の私は、誰なのか?そんなことは、はっきりしているじゃないです
か!私は・・・誰でしょう?」
アリ「この際、誰でも構いません。早く決めてください。」
ウデ「私がですか?」
アリ「ええ。」

ウデ「この台本を書いたのあなたでしょ?」
アリ「そうですよ。」
ウデ「じゃあ、あなたが決めるのが筋なのでは?」
アリ「でも、今、あなたの身体を動かしているのはあなたでしょ!」

ウデ「・・・そうでしょうか?」
アリ「どちらにしても、このままあなたが誰なのか分からなければ、無意味な
時間がどんどん過ぎていくだけです。早く決めましょう。」
ウデ「分かりました。僕は・・・・」

 おもむろにロープでウデの首を絞めるアンナ。

ウデ「うあああ!」
アンナ「(恍惚と)ルネッサンス。」
ウデ「ルネッサンスじゃないでしょ!」
アンナ「私は今、あなたを本当に殺そうとしました。」
ウデ「え?」
アンナ「あなたが誰なのか分からなくする為です。無意味な時間を楽しむ為に
です。」
アリ「何故そこまで無意味にこだわるのですか?」
アンナ「私は怖いのです。この電車が終着駅に着いて、何もかも終わるのが。」
アリ「でも、彼を殺したとき、あなたは意味そのものになりはしませんか?」
アンナ「・・・え?」
アリ「ここにいる人たちは、あなたは何故彼を殺すのだろうと解釈し始めます。
いくらあなたが何の意味もないのだと主張しても無駄です。そしてあなたはま
た新しい台本を手に入れます。そこでの役名は・・・」
ウデ「マジシャンです!」

アリ「・・・はい。」
ウデ「いや、はいじゃなくて!」

アリ「何故そこまでマジシャンにこだわるのですか?」
ウデ「この、危機的状況から脱出する為には、僕のマジックが必要なのです。
さあ、僕の体をこのロープで縛り上げてください。今から縄抜けのマジックを
します。もし、僕がこのロープから抜け出ることが出来たら僕はマジシャンで
す。間違いなくマジシャンです。もちろん私が本当に魔法を使うなどとは誰も
思いません。しかし、どうしてそんなことが出来るのだろうと考え始めます。
その思考自体は真実です。つまり、私達の存在はリアリティを取り戻すのです。」
アリ「なるほど、だからきつければきついほどよいのですね?」
ウデ「ええ。」
アリ「血液の流れが止まるほど!」
ウデ「さあ、宜しくお願いします。僕の身体を縛ってください!血液の流れが
止まるほど!そして、僕は見事抜け出して見せます!その時こそ本当の自由が
やってくるのです。」

 アリ、これでもかとウデを縛り上げる。
 だんだん変色してくるウデ。意識が遠ざかる。必死で抜けようとするが抜けられない。


ウデ「しまった!」
アンナ「どうしました?」
ウデ「ここのロープをこっちの手で持っておかなければいくら頑張っても抜け
ることは出来ないのです。」

 アリ、アンナ、呆然とウデを見ている。

ウデ「・・・解いてください。」
アリ「あなたは、何でこんなことになってしまったのですか?」
アンナ「マジシャンであることを証明するためです。」
アリ「じゃあ、私たちが解いてしまったら?」

アンナ「この人はマジシャンではなかったということを証明することになりま
すね。」
ウデ「でも、ここまで来てしまったらもう解けません。」
アンナ・アリ「・・・本当にそうなのですか?」

ウデ「・・・え?」
アンナ「あなたは、本当にそのロープを解くことができないのですか?」
ウデ「・・・」

 ウデ、ゆっくりと起き上がる。

アンナ「あの時も私はこうやって見ていました」
アリ「狭い窓」
アンナ「必死で背伸びして外の景色を見ようとする小さな子供。それが」
アンナ・アリ「私でした」
アリ「重い十字架に縛られて」
アンナ「ゴルゴダの丘へ向かっていく男が見える」

アリ「ぼろぼろの服を着ている」
アンナ「裸足で」
アンナ・アリ「悲しい笑みをたたえながら歩いてゆく」
ウデ「遠くで子ども達の声が聞こえる」
アンナ・アリ「ジョバンニ、ラッコの上着が来るよ」


 ウデ、縛られたまま磔になっている

ウデ「気がつけば、私はそこにいた。中空より容赦なく照りつける太陽のせい
だろうか?・・・(次第にアリとシンクロしてくる)」
アリ「いつからここでこうしているのか、そして何より、何故私はここにいる
のか、思い出せずにいた。ただ・・・のどが渇いた」
アンナ「ジョバンニ、ラッコの上着が来るよ。」
アリ「遠くで子供達の声が聞える、何故だろう、ひどく懐かしい気がする」

アンナ「ジョバンニ、ラッコの上着が来るよ。」
ウデ「ジョバンニ?・・・かつて私は、そんな名前で呼ばれていたのではなか
ったか?」
アンナ「ジョバンニ、ラッコの上着が来るよ。」
ウデ「・・・そうだ」

アリ・ウデ「一番の幸。それをみつける為に、私はこの電車に乗ったのだ。い
や、そんなはずはない。私は忘れてしまっているからこんなことを口走るのだ。
一体、」
ウデ「何を忘れたかを忘れてしまっているから・・・」
アリ「一番の幸は、見つかりましたか?」
ウデ「いいえ。」
アリ「もうじきあなたの体は動かなくなるでしょう。」

ウデ「そうみたいです。」
アリ「その時、あなたは思い出すことができますか?私たちが忘れてきたもの
は一体何だったのか?」
ウデ「わかりません。」
アリ「それでは何故・・・あなたはその重い十字架を背負っているのですか?」
ウデ「私は自由になりたいのです!」
アリ「でも、あなたの体は今とても不自由ですよ!」
ウデ「こうしていれば少なくとも運命からは開放されます。そして、人々は私
のことを殉教者と呼んでくれるのです!」
アンナ「いいえ。あなたは、ペテン師です。」


 車内に訪れる静寂。

アンナ「運命におびえる必要などありません。」
アリ「台本に書いてある通りに動き、台本に書いてある通りに台詞をしゃべり
ます。私達は、ペテン師なのですから。」
ウデ「私はペテン師などではありません。殉教者なのです。」
アンナ「マジシャンではなかったのですか?」
ウデ「マジシャンでもあるのです!」

アリ「でも、その縄を解くことは出来ないのでしょ?」
ウデ「解けません!」
アンナ「では、あなたはやはりペテン師でなのでは?」
ウデ「いやだー!ペテン師はいやだー!」


 と、駄々をこねるウデ。そのうちにロープがするりと解ける。

ウデ「・・・私は本当にマジシャンかもしれません!」

 冷たい視線がウデに浴びせられる。

アリ「なぜです。」
ウデ「・・・何がです?」
アリ「あなたは、そこでそうやってずっと縛られることになっていたでしょ?
この芝居が終わるまで!私はそう書いたはずです。」
ウデ「しかし、抜け出せてしまったのです、偶然にも。」
アリ「偶然?」
アンナ「いいえ。私の台本ではこうなることになっています。」
アリ「どういうことです?」

アンナ「どういうことです?」
アリ「・・・やはり首を吊りましょう。」
アンナ「ええ。吊りましょう。」
ウデ「それで何の解決になるのでしょうか?」
アリ「解決にはなりませんが、首を吊った人が誰なのか、知ることが出来ます。」
ウデ「あなたは、誰ですか?」
アリ「・・・誰でしょう?あなたは誰ですか?

アンナ「・・・誰でしょう?あなたは誰ですか?」
ウデ「・・・誰でしょう?あなたは誰ですか?」
アリ「分かりません。あなたは誰ですか?」
アンナ「分かりません。あなたは誰ですか?」
ウデ「分かりません。あなたは誰ですか?」
アリ「分かりません。あなたは誰ですか
?
アンナ「分かりません。あなたは誰ですか?
ウデ「分かりません。」
三人「あなたは誰ですか?


 沈黙。

アンナ「一体なぜ分からないのでしょうか?
アリ「変わり続けているからです。こうやっている間にも私は変わっています。
いろんな音を聴きます。いろんなものを見ます。記憶が塗り替えられます。で
すから、変わらなくなればいいのです。」

 アンナ、アリ、ウデを取り囲む。

アンナ「さあ、早く首を吊ってください。」
アリ「さあ。」
アンナ・アリ「早く。」
ウデ「・・・あの、皆さんはどうされるのでしょうか?」

アリ「こうやってあなたが首を吊るのを見ています。」
ウデ「それで?」
アンナ「あなたが息絶えて、物質になるのを待ちます。」

ウデ「それで?」
アリ「それだけです。」
ウデ「ひどく、不公平な気がするのですが・・・」

アンナ・アリ「何故です?」
ウデ「私は、死んでしまうわけですよね?」
アンナ「でも、そうすればあなたが誰だったのか分かります。」

ウデ「でも、その時には僕は・・・」
アンナ・アリ「死んでます。」
ウデ「やはり、納得いかないんですが。」
アンナ・アリ「何故です?」
アンナ「あなた、自分が誰なのか知りたいんでしょ?」
ウデ「ええ。」

アンナ・アリ「じゃあ、こうするしかないじゃないですか?」
ウデ「そりゃ、皆さんはいいかもしれない。私が誰なのか知ることが出来て。
でも、私は?私は自分が誰なのか分かった時にはもう物質になっている。」
アンナ「そうです。」

アリ「でも、大丈夫です。」
ウデ「え?」
アリ「あなた、死んだりはしない。私、そうやって台本に書いてないですから。」

ウデ「あなたが書いてないって言うのなら安心です。私は死にません!」
アリ「よかったですね。」
ウデ「ええ!」
アリ「さあ、安心して首を吊ってください!」

ウデ「はい!」


 首を吊ろうとするウデ、が、ふと考える。

ウデ「あの・・・」
アリ「はい。」
ウデ「じゃあ、私は何をしているのでしょうか?」

アリ「何って、決まっているじゃありませんか、首吊りですよ。」
ウデ「それは分かっているんですけど、私は、死なないことになっている。」
アリ「はい。台本では死ぬことにはなっていません。」
ウデ「じゃあ、一体どうなるんでしょう?」
アリ「どうなるって、ちゃんとト書きに書いてあるし、今日まで練習してき
たじゃないですか。抵抗むなしく結局は絞首刑になる哀れな男と思い込んで
いる男、首を吊った後、死んだフリをして床に倒れている、が、おもむろに
起き上がり、ああやっぱり死ねない!と叫びながら元気よく車内を歩く。さ
あ、どうぞ。」
ウデ「あの・・・今更ですけど、いいですか。」
アリ「どうぞ。」

ウデ「元気よくって何ですか!元気よくって!おかしいでしょ?元気よく歩
きながら、ああ!やっぱり死ねないっていうのは!」
アリ「おかしいです。」
ウデ「じゃあ、辞めましょうよ!」
アリ「でもあなた、無理だったじゃないですか!元々ここのト書きは哀愁を
帯びた背中でだったんです。でも、いくら練習してもあなたが出来ないから
書き換えたでしょ?」
ウデ「出来ます!」

アリ「じゃあ、やってください。首をつり終わったところからで結構ですか
ら。」
ウデ「・・・ああ。やっぱり死ねない・・・」

 やっぱり、元気いっぱいだ。

アリ「さあ、もうあきらめて首を吊って下さい。そして、元気いっぱい歩い
てください。」
ウデ「あの・・・事故が起こる可能性は無いんですか?」
アリ「事故?」
ウデ「確かに、台本では私は死ぬことにはなっていません!でも、ふとした
偶然が重なって、本当に死んでしまうなんてことはないんですか?」
アンナ「偶然が重ならなければ、あなたは死なないのですか?」
ウデ「ええ・・・まあ。」

アンナ「私の台本では、実際に死ぬことになっています。」
ウデ「え?」
アンナ「やっぱり、私、とってきます。」

アリ「何をですか?」
アンナ「忘れ物をです。」
アリ「何を忘れたか思い出したのですね?」
アンナ「はい。」
アリ「何だったのです?あなたが忘れたものは?」
アンナ「台本です。私の物語が書かれた私専用の台本です。」

アリ「いつの間にそんなものを作っていたのです?」
アンナ「生まれたときからもうあったのです。」
アリ「その台本は、どこにあるのです?」

アンナ「まだ、書きかけなのです。」
アリ「一体誰が書いているのです?」

アンナ「ゴドーさんです。」
アリ「・・・ゴドーさんはまだご健在でしたか?」
アンナ「ええ。待ちましょうか?」
アリ「ええ、待ちましょう。」
ウデ「何を待つのです?」
アリ「もちろん、ゴド―さんをです。」
ウデ「来るでしょうか?」
アリ「さあ、どうでしょう?」
ウデ「もし来られたら、どうしましょう?」

アンナ「別に、何もしなくていいです。あの方も私たちにはもう何も期待し
ていないでしょうし。」
アリ「もちろん、私たちも何も期待していないでしょうし。」
ウデ「では、なぜ待っているのでしょう?」


 沈黙。

アンナ「忘れましょうか?」
アリ「ええ。忘れましょう。」
ウデ「何を忘れましょう?」
アリ「ゴドーさんのことをです。」

アンナ「忘れてどうします?」
アリ「沈黙を守り通しましょう。」
ウデ「でも、もし来られたらどうします?」
アリ「ゴドーさんがですか?」

ウデ「はい。」
アリ「今日はもう来ないでしょう。」
アンナ「私の台本では、今日ここに現れることになっています。」
ウデ「ここですか?」
アンナ「いいえ、そこです。」
ウデ「そこですか?」
アンナ「いいえ、ここです。」
アリ「ここは、一体どこなのでしょう?」

 三人、おもむろに観客を観察し始める。

アリ「あなた。」
ウデ「はい。」
アリ「今自分が何処にいるのか分かりましたか?」
ウデ「・・・はい。」
アリ「何処です?」
ウデ「電車の中・・・だと思うのですが?」
アリ「私もそんな気がしてきたのです。ここは、どうやら電車の中だろう
なと。」
アンナ「私もそんな気がしてきました。」

アリ「でも、それは初めからわかっていたことではないでしょうか?つま
り、前提として・・・と言うことは、私たちは前提さえも今喪失しかけて
いたのですね。」
アンナ「そんな大変なことが起こりかけていたのですか?」
ウデ「うあああ。」
アリ「皆さん、落ち着いてください!・・・考えましょう。」
アンナ・ウデ「はい。」

 それぞれの帽子をお互いにかぶせ始める。不似合いな帽子だ。
 ぐるっと一回りするまで繰り返す。


アンナ「これで、本当に考えていることになるのでしょうか?」
アリ「そのつもりですが?」


 もう一度

ウデ「考えてみてひとつだけ分かったことは。」
アリ「はい。」

ウデ「他人の帽子は自分にはひどく似合わないということです。」

 それぞれの帽子を元の持ち主に返す。

アンナ「もうやめましょう、こんなこと。」
アリ「ええ、やめましょう。」
ウデ「やめましょう!」

アリ「いったい何をやめましょう?」
アンナ「考えることをです。」
アリ「私たちは、考えていたのですか?」
ウデ「どうなんでしょう。」
アンナ「帽子は?」
アリ「あれは、考えていないといなくなると言われたから、考える振りを
しただけです。」
アンナ「誰にです?」
アリ「コ、ギ、ト、とか言う人です。確か偉い人です。」
アンナ「さあ、首をつりましょう!」


 やっちゃったの沈黙。

アリ「・・・あなた、台詞を間違えましたね?そこは『それは、デカルト
さんが言ったことではないでしょうか?』だったはずです。」
アンナ「いいえ。私の台本では、これであってます。」
ウデ「ゴドーさんの台本ですね?」

アンナ「はい。」
アリ「何で台本が二つあるんですか?あなた、稽古の時にはそんなこと一
言も言わなかった!」
アンナ「仕方がありません。これが運命です。」
アリ「そうでしょうとも。あの方のもともとのお仕事は、運命の渦の真ん
中でサイコロを振ることですからね!でも、なぜ今?なぜよりによ
って今
なんですか?」
アンナ「仕方がありません。これが運命です。」

 沈黙。

アリ「・・・ゴドーさんは、本当に今日ここに現れるんですか?」
アンナ「ええ。私の台本ではそうなっています。」
アリ「しかし、現れそうにありませんよ。」
ウデ「追い越してしまったのではないでしょうか?」

アリ「ゴドーさんをですか?」
ウデ「乗り遅れてしまったのではないでしょうか?」
アリ「ゴドーさんがですか?」

ウデ「お亡くなりになられたのではないでしょうか?」
アリ「ゴドーさんがですか?」
アンナ「では、私の物語はどうなるんです?」
アリ「未完成のままですね。残念ながら。」

アンナ「そんな・・・」
アリ「だから、私はこの台本を書いたのです!」
アンナ「・・・にしては、ひどい台本ですね。」
アリ「え?」
ウデ「ええ。わたしもそう思います。この台本はひどいです。」
アリ「あの・・・ゴドーさんはそんなにもすごい劇作家なのですか?」
アンナ「ええ。それはもう。」

ウデ「あの方はすごい。」
アンナ「あなたとは比べ物にならない。」
アリ「そんなにすごいんですか?」
アンナ「すごいです。」
ウデ「キャリアが違う。」
アリ「そうですか・・・しかし、これからどうしましょう?」
アンナ「何をです?」
アリ「続きです。」
ウデ「やっぱり、ゴドーさんに書いてもらいましょう、いくら年老いたと
はいえ、あの方の作品には安定感がある。」
アンナ「でも、私はゴドーさんの作品を一度も観たことがありません。」
ウデ「私もです。」

アリ「・・・でも、私の作品とは比べ物にならないものをお創りになる。」
アンナ「はい。」
アリ「一体、ゴドーさんは何者なのです?」
アンナ「分かりません。」
アリ「あなた、台本を書いてもらったのでしょう?」
アンナ「はい。確かに。」
アリ「どこにいらっしゃるかご存知ないのですか?」
アンナ「ええ。私が生まれた時にはもう用意されていた台本ですから。」
ウデ「どなたか、御存知の方いらっしゃいませんか?」

 と、客に問いかけるも、反応はない。

アリ「・・・本当にゴドーさんは存在するのですか?」
アンナ「それはもう、間違いありません。」
アリ「でも、誰もお会いしたことは無いのでしょう?」
ウデ「あ。もしかしてこの電車の運転手さんがゴドーさんなのではないで
しょうか?」
アンナ「なるほど、さっきから、実は私がゴドーなのですと名乗りたいけ
れど、運転中に話すと危険なので我慢している。」
ウデ「仕事熱心な方なのですね。」

アンナ・ウデ「あなたが、ゴドーさんなのですね?」

 運転手さんのリアクションに身を委ねましょう。

アリ「・・・どうやら違うみたいですね。もう、あきらめましょう。」
アンナ「何をです?」
アリ「ゴドーさんを待つことをです。」
アンナ「では、私の物語は?」
アリ「続きは私が書きましょう。」
アンナ「・・・仕方がありません。お任せします。」

ウデ「あ、でも大丈夫でしょうか?」
アリ「何がです?」
ウデ「著作権の問題です。」

アリ「著作権?」
ウデ「はい。途中までゴドーさんが書いていたものを、勝手に書き換える
のはさすがにまずいと思うのですが・・・」
アリ「・・・開き直って、こう言いましょう。これは最初から、私が書い
た台本だと。」
ウデ「ばれたらどうするのです?」
アリ「ばれるでしょうか?」
アンナ「ばれると思います。ゴドーさんは地獄耳ですから。」
アリ「ばれたらどうなるんでしょうか?」
ウデ「多分、縛り首でしょうね。」
アリ「・・・あなたが?」
ウデ「あなたがですよ!」
アリ「何故です?何故あなたではないんですか?」

ウデ「私は著作権の問題には一切抵触していません。」
アリ「でも、元はといえばあなたのせいですよ。」
ウデ「何がです?」

アリ「ゴドーさんの台本ではこの人は実際に死ぬことになっているんです
よね?」
アンナ「はい。」
アリ「つまり、あのまま芝居が続いていたらおっちょこちょいなあなたは
何かの偶然が重なって、本当に首を吊って死んでしまっていたということ
ですよ。」
ウデ「おっちょこちょいという言葉が引っかかりますが、まあ、そういう
ことなんでしょう。」
アリ「それは、いくらなんでもひどい!だから、何とかあなたが実際に死
なないようにしようと私はこの台本を書いたのですよ。」
ウデ「あなたは、命の恩人だ!」
アリ「だから、私が縛り首の憂き目に遭うようなことになった時にはあな
た、身代わりになってくださいね。」
ウデ「あなた、言ってることがむちゃくちゃですよ!」
アリ「あ、さっきから気になっていたのですが、聞いていいですか?」

アンナ「はい。」
アリ「ゴドーさんが書いた台本の中で、私の役名は何ですか?」
アンナ「ゴドーさんです。」
アリ「え?」
アンナ「あなたは、ゴドーさんです。」
アリ「・・・私が?」
アンナ「ええ。あなたです。間違いありません。ただし、条件付です。」

アリ「条件?」
アンナ「ええ。今起こっていることがすべて虚だとあなたが認めた場合の
み、あなたはゴドーさんです。」
アリ「つまり、これは私が書いた芝居だと。」

アンナ「ええ。」
アリ「私たちは、芝居を演じている役者だと?」
アンナ「ええ。」
アリ「ここに座っていらっしゃる方々はその芝居の観客だと。」
アンナ「さあ、決めてください。この電車は何処に向かっているのか?」
アリ「こういうのはどうでしょうか?実は止まっている。」
ウデ「・・・そんなはず無いじゃないですか!窓の外の景色は確かに動い
てます。ほら、こうやれば後ろに、こうすれば前に!」
アンナ「でも、それもありうる話ではないでしょうか。目の錯覚です。」
ウデ「それでも地球は回っている!」
アリ「ええ。地動説です。」
ウデ「それでは、私たちは何処にもいけないし何処にも戻れないのですか?」
アリ「もし、この電車が止まっているとすればそうです。」
アンナ「ここから動くことが出来ないのなら、私たちは何故この電車に乗
ったのでしょう?」
ウデ「こんな残酷な話はありません。」
アリ「理由が無ければダメでしょうか?私たちがこの電車に乗ったちゃん
とした理由が無ければ・・・」

アンナ「ダメです。」
アリ「ダメですか・・・」
アンナ「理由が無ければつらいのです。この電車が終着駅に着いたときに、
一体何でこんな場所に来てしまったのだろうと。」
アリ「理由があっても同じではないでしょうか。」
アンナ「無いよりはあったほうがましです。これは、比較の問題なのです。」
ウデ「ずっと、この電車から降りなければどうでしょう?」

アリ「ずうっっと?」
ウデ「はい。」
アリ「どのくらいずうっとですか?」
ウデ「すべて忘れてしまって、また最初からやり直すくらいです。」

アリ「やり直せるのですか?」

 沈黙。

アリ「この電車は環状線なのですか?」
ウデ「同じ場所をぐるぐる回っているのですか?」
アンナ「だから私たちは同じ事を繰り返しているのですか?」

 誰かに問いかけるも、返事はない。

アリ「お互いに殺しあいましょうか?」
ウデ「何故?」
アリ「暇だからです。戦争です。」
ウデ「でも、この電車の終着駅はアウシュビッツなのでしょ?」
アリ「ええ。そういうことにしようかと思っていますが・・・」

ウデ「では、殺しあう必要は無いじゃないですか。放っておいても私たち
は殺されるのですから。」
アンナ「この電車は、銀河鉄道ではなかったのですか?」
アリ「ええ。そうしようとも思っていますが・・・」
アンナ「どっちなんですか?」
ウデ「どっち?」
アリ「どっち?」
アンナ「しっかりしてください、ここではあなたがゴドーさんなのですよ。」
アリ「分かりました!私達が前を向けばそれはアウシュビッツ行きの汽車
です、でも後ろを向けば銀河鉄道です!」
ウデ「しかし、目を閉じてしまえば前に進んでいるのか後ろに戻っている
のか分からなくなります。」
アリ「そうでした!」
アンナ「目を閉じたところで何も変わりはしません。問題は自分の体がど
っちを向いているかです。前なのか、後ろなのか。」
アリ「そうでした!」
ウデ「いずれにしても、私達が暇をもてあましていることには変わりあり
ません。」
アンナ「確かに暇です。」

アリ「では、想像してみてはどうでしょう。私たちが死んだ後の世界を。」
アンナ「それはいい暇つぶしです。早速想像しましょう。」

 それぞれに死後の世界を夢想する。

アンナ「私、今とんでもない想像をしてしまいました。」
ウデ「私もです。」
アリ「どんな想像ですか?」
アンナ「結局、死んだあともこの電車に乗ってどこかに行こうとしている
のです。」
ウデ「でも、やっぱりこの電車がどこに向かっているのか分からないので
す。」
アンナ「それで、またそこでも同じように暇になって・・・」
ウデ「死んだあとのことを想像するのです。」
アンナ「でも、結局この電車に乗っていて、」

アンナ・ウデ「やっぱり何処に向かっているのか分からないのです。」
アリ「繰り返しですか・・・」


 疲労感にも似た重い空気が車内に漂う。

アリ「この電車に乗らなければどうなるんでしょうか?」
アンナ「この電車にですか?」

アリ「ええ。」
アンナ「どうなるんですか?」
ウデ「どうなるんです?」
アリ「どうなるんでしょう?・・・電車の外にヒトは居ますか?」

 みんな電車の外を見る。

ウデ「どうやら、居るみたいです。」
アンナ「みんな普通に生活しています。」
アリ「ザネリはいますか?」
ウデ「居ました!ものすごい勢いで走ってきています。」
アリ「間違いありませんか。」
ウデ「間違いありません!この電車を追いかけているようです。」
アンナ「なぜ追いかけてくるのでしょう?」
ウデ「あ。なんか言ってます!・・・僕も、電車に、乗せてくれ?」
アリ「あなた、聞えるんですか?」

ウデ「読唇術です。あ、ザネリ、ものすごい速度です!」
アンナ「何で、電車に乗りたがっているのでしょう?」
アリ「何で乗りたいのか聞いてみて下さい。」

ウデ「それは無理です。ザネリは読唇術を心得ていないでしょうから・・・」
アリ「それでは、仕方ありません。叫びましょう。」
アンナ・アリ「さあ、早く!」
ウデ「・・・みんなで叫びません?その方が、ほら、ザネリに届きやすい
だろうし・・・」
アンナ「何故、一人ではいやなのですか?」
ウデ「それは・・・なんか恥ずかしいじゃないですか?」
アリ「生きていることがですか?」

ウデ「いえ。電車の外に向かって叫ぶのって・・・」
アリ「恥ずかしいですか?」
ウデ「恥ずかしくないですか?」
アリ「恥ずかしいですよ。」
ウデ「でしょ?」
アリ「でも、一体何故恥ずかしいのでしょうか?」
アンナ「生きているからでしょうか?」
ウデ「あ!ザネリがどんどん近づいてきています!」
アンナ「本当だ!頑張れ、ザネリ!」
ウデ「あ!大変です。」

アリ「どうしました?あ!・・・ザネリがしがみついている!」
ウデ「・・・え?何?」
アリ「なんて言ってるんですか?」

ウデ「・・・ジョバンニ、ラッコの上着が来るよ?」
アンナ・アリ「みんなはね、ずいぶん走ったけれども遅れてしまったよ。
ザネリもね、ずいぶん走ったけれども追いつかなかった。」
アンナ「ねえ、何でみんな遅れちゃったの?」
アリ「ずいぶん走ったからね。」

アンナ「じゃあ、走らなければよかったの?」
アリ「ああ。次の電車を待てばよかったんだ。」
アンナ「いつ来るの?次の電車は?」
アリ「それは、わたしにも分からない。時刻表を忘れてきたからね。」
アンナ「時刻表は何処にあるの?」
ウデ「ザネリが持ってる。」

 沈黙。

ウデ「時刻表はザネリが持ってる。」
アリ「でも、乗車券を彼、持っていない。」

ウデ「あ!ザネリが落ちた!」
アンナ「え?」
アリ「いや、彼は落ちたんじゃない、自ら手を離したんだ。ほら。」
ウデ「本当だ。また走り出した。」
アンナ「一体どうするつもりでしょうか?」

ウデ「終着駅で待つつもりじゃないですか?」
アリ「終着駅?」
ウデ「ええ、この電車に乗れないんだったら、先回りして・・・」
アンナ「でも、この電車はどこに着くんですか?」
アリ「まだ決まっていません。」
ウデ「その前に、私達は生きているんですか?死んでいるんですか?」
アリ「まだ決まっていません。」
アンナ「私達は誰なんですか?」
ウデ「一番の幸はナンだったんですか?」
アンナ「この電車は前に進んでいるのですか?」
ウデ「止まっているのですか?」

アンナ「後ろに戻っているのですか?」
ウデ「私達の体はどっちを向いているのですか?」
アンナ「私達に意思はあるのですか?」

ウデ「必然なのですか?」
アンナ「偶然なのですか?」
ウデ「過去なのですか?」
アンナ「未来なのですか?」

 アンナ、ウデ、アリに詰め寄る。

アリ「まだ決まっていません!」

 静寂。

アリ「ザネリなんて居ない。これは銀河鉄道なんかじゃないし、もち
ろんアウシュビッツ行きの汽車なんかでもない。荒川線だよ。貸切電
車の中で芝居をしてるんだ。この電車はもう少ししたら終点に着く。
もう、これ以上進めない。だって、線路が無いんだもの!どうするん
だよ線路が無ければ。作るのか?何処までも作るのか?どうやって作
るんだよ!こんなしがない台本書きに、一体何が出来るって言うんだ!」
アンナ「作りましょう。」

 間。

アンナ「線路が無いなら続きを作りましょう。何処まででも作りまし
ょう。戻っているのか進んでいるのか止まっているのかそんなこと本
当はどうだっていいんです。何処かに終着駅があるかもしれない。そ
れだけでいいんです。その思いさえあればいいんです。だから、作り
ましょう。続きを。」
アリ「でも、これは芝居なのです。いつかは終わらせなければなりま
せん。」
アンナ「終わらせなければダメなのでしょうか?」
アリ「え?」
アンナ「ずっと続けるのです、この芝居を。電車が終点について止ま
った後も。」
ウデ「では、私は、また縛られたり首を吊ったりしなくてはいけない
のでしょうか?」
アリ「はい。・・・嘘です。あなたはあなたの終着駅を探せばよいの
です。」
ウデ「ということは、僕は自由なのですね!」
アリ「そうです。とても不自由ですね?」
ウデ「はい!」
アンナ「・・・さあ、これからどうしましょうか?」
アリ「電車の中で次の駅に着くのを待っている人を演じてみてはどう
でしょうか?」


 それは、ごく普通の電車の中の風景だ。

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